三国志NET蒼姫国
武経七書
兵法書『李衛公問対』

上の巻(6)

太宗が尋ねた
   「春秋の時代に、晋の苟呉(じゅんご)が狄(てき)を攻めたさい、途中で戦車を棄てて歩兵だけで行軍したという。
  これは正兵を言うべきか、奇兵を言うべきか」

李靖:「苟呉は戦車を使うときの隊伍を崩しませんでした。確かに戦車は棄てましたが、戦車の原則は生かしたのです。
  すなわち全軍を三隊に分け、左右を正面に配置して進撃したのですが
  この原則はたとえ戦車の数が千台、万台に増えても変わりがありません。
   曹操の『新書』には、《攻撃用の戦車には兵士七十五人が従い、これを正面の三隊に分ける。
  輜重用の戦車には炊事夫十人、警備兵五人、馬丁五人、雑役夫五人、計二十五人が従う。
  したがって攻撃と輜重、それぞれの戦車を合わせると百人になり、十万の軍を動員するときには
  合わせて二千台の戦車が必要になる》とあります。これはおおむね苟呉の原則を踏襲したものです。
  これが漢や魏のころになりますと、戦車五台を〈隊〉と言って小隊長をつけ、
  十台を〈師〉と言って中隊長をつけ、千台になると将軍と副将を置いて統率させました。
  これ以上増えた場合も、この原則に倣うようにしたのです。
   わが唐軍の編成に、これを当てはめてみますと、今の〈跳とう隊〉は、かつての騎馬に辺り、
〈先鋒隊〉は歩兵と騎兵の役割を兼ね、〈駐隊〉はそのうえさらに戦車隊の役割まで兼ねています。
  わたくしが突けつを討伐したとき、険しい山々を越えて数千里も遠征しましたが
  この原則は変えませんでした。古来から伝わる原則は、出来る限り尊重すべきなのです」


太宗は霊州の視察からもどると、李靖を呼び寄せた
   「わたしは、道宗と阿史那社爾に命じてせつ延陀を討伐させた。
  その結果、あの地方に住む鉄ろく族が唐の役人の駐在を望むようになたので
  わたしはその要請を受け入れた。孤立した せつ延陀は西へ逃走したが、
  先々の憂いにならないように李せきに命じて追撃させ、北方の地をことごとく平定することができた。
  しかし、これらの辺境の地では、漢人と異民族が入り交じっていて、統治が難しい。
  どうすれば双方の民に末永く不安を抱かせないようにすることができるのか」

李靖:「陛下は、突厥の部落から回@(ウイグル族)の部落に至るまでの六十八ヶ所に駅舎を設置することを命じられ、そうしてスパイが往来しやすくして、情報がすぐに伝わるようにしました。これは得策です。しかし、わたくしは、中国人の将兵には中国人の将兵にあった訓練をほどこし、異民族の将兵には異民族の将兵にあった訓練をほどこすべきで、それぞれの民族が得意とする戦法はそれぞれ違っていますが、そんな民族それぞれの長所をいかすためにも、両者を混同すべきでないと思います。そして、敵の襲撃を受けたなら、ひそかに将軍に命じて、中国人部隊と異民族部隊の間で、それぞれ旗と服を変えさせ、奇策をくりだして反撃するのです」  太宗は言いました。 「どういうわけだ?」  李靖が答えました。 「いわゆる『いろんな手段を使って敵をまちがわせる作戦』です。異民族部隊を中国人部隊のように見せかけ、中国人部隊を異民族部隊のように見せかけて、敵に見分けがつかないようにすれば、敵はこちらの作戦をよめません。民族ごとに戦法が違うのですから、敵が民族を誤認すれば、対戦方法をまちがい、それだけ敵は不利になります。用兵のうまい人は、まず敵にこちらの実情がばれない態勢をととのえます。そうすれば、敵は必ずまちがいを起こします」  太宗は言いました。 「そのほうの言葉は、まったくわしの考えと同じだ。そのほうは辺境地帯の将軍たちに、このことをひそかに教育してくれ。この中国人部隊と異民族部隊とが旗と服を変える作戦は、奇兵と正兵をうまく使いこなす戦い方の一種だ」  李靖は、深々と頭を下げてから言いました。 「陛下の聡明さは、とてもすぐれておられ、ちょっと聞かれただけで多くを理解なされます。わたくしは、陛下に比べましたら、まったくの理解不足です」 (15)  太宗は言いました。 「諸葛亮は、いつも『軍隊がきちんとしていれば、いくら将軍が無能でも敗れない。軍隊がきちんとしていなければ、いくら将軍が有能でも勝てない』と言っていた。しかし、この言葉は、必ずしも十分なものではないのではないだろうか」  李靖が答えました。 「これは、諸葛亮が感じるところがあって言ったにすぎません。『孫子』をみてみますに、『教練のやり方はでたらめで、役人や軍人の仕事は一定していないし、部隊の配置はむちゃくちゃ、これを乱れた軍隊と言う。むかしから乱れた軍隊は勝ちを失っており、こういった例はたくさんある』とあります。  そもそも『教練のやり方はでたらめ』というのは、訓練するときに、古人のすぐれた兵法にならわないことを言います。『役人や軍人の仕事は一定していない』というのは、将軍や官僚の人事異動がひんぱんで、一つの仕事にうちこめないことを言います。『乱れた軍隊は勝ちを失う』というのは、軍隊が自滅することで、敵と戦って負けることではありません。それで諸葛亮は、『軍隊がきちんとしていれば、いくら将軍が無能でも敗れない。軍隊がきちんとしていなければ、いくら将軍が有能でも勝てない』と言ったのです。この言葉には、疑う余地がありません」  太宗が言いました。 「軍事訓練というのは、まったくないがしろにできないものだな」  李靖が答えました。 「教練のやり方がきちんとしていれば、兵士たちはとてもよく役立つようになります。しかし、教練のやり方がまずければ、どんなにしかりつけたとしても、まったく役に立ちません。わたくしが、むかしのすぐれた制度を念入りに研究し、それをまとめて図解したのは、兵士たちを教練し、きちんとした軍隊をつくろうと考えたからです」  太宗は言いました。 「では、そのほうは、わしのために、むかしながらのすぐれた戦闘態勢のとり方をえらんで、それをことごとく図解して提出してくれ」 「
  」
  (16)  太宗は質問しました。 「異民族部隊は、たいてい騎馬を使って敵陣に勢いよく攻めかかり、近づいて攻撃する。これも奇兵の一種か? また、中国人部隊は、たいてい強力な石弓を用いて敵をはさみうちにし、遠くから攻撃する。これも正兵の一種か?」  李靖が答えました。 「『孫子』をみてみますに、『用兵のうまい人は、軍隊全体の勢いを頼りにして戦い、兵士個人の才能をあてにしない。ゆえに、兵士をえらんで勢いに乗せることができる』とあります。そこに言う『兵士をえらぶ』とは、ここでは、たとえば異民族部隊と中国人部隊に、それぞれの長所に応じた戦い方をさせることです。異民族部隊は、騎馬による直接攻撃を得意としています。騎馬は、電撃戦にむいています。中国人部隊は、石弓による間接攻撃を得意としています。石弓は、持久戦にむいています。このように、それぞれが得意とする戦い方をさせれば、おのずと勢いがつきます。  しかし、これは奇兵と正兵をうまく使い分けることとは関係ありません。わたくしが前に述べました『異民族部隊と中国人部隊に旗と服を交換させる作戦』は、奇兵と正兵をうまく使いわける方法です。しかし、今回の場合、騎馬隊も正兵として使うことができ、必ずしも奇兵としてしか使えないというわけではありません。また、石弓隊も奇兵として使うことができ、必ずしも正兵としてしか使えないというわけではありません。どうして一定のかたちに固定できるでしょうか」  太宗が言いました。 「その方法について、さらにくわしく説明してくれ」  李靖が答えました。 「擬装して敵の目をあざむき、うまく敵を誘導するのが、その方法です。たとえば、異民族部隊に中国人部隊の服を着させ、中国人部隊の旗をあげさせたなら、敵はこちらを中国人部隊だと誤認し、対応をあやまり、それだけ不利になります」   太宗が言いました。 「よくわかった。『孫子』に『敵の目をあざむく最高のものは、こちらの実情を見えなくすることである』とあり、さらに『敵の目をあざむいて自軍を勝利に導くわけだが、兵士たちにはどうして勝てたのかが分からない』とあるが、これはこのことを言っているのだろう」  李靖は深々と頭を下げてから言いました。 「陛下は、よく考察しておられ、ほとんど理解しておられます」
太宗:「」

   「
  
  
  」
  
太宗:「」

李靖:「」
  
  
太宗は尋ねた
  「」

李靖:「
  
  
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全訳「武経七書」(2)司馬法 全訳「武経七書」(2)「司馬法」「尉繚子」『李衛公問対』

著者:守屋洋
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