三国志NET蒼姫国
武経七書
兵法書『李衛公問対』
●『孫子』で語られている用兵に欠かすことの出来ない「正」と「奇」はなんぞや

上の巻(2)

太宗が尋ねた
  「奇と正は、もともと別なものなのか。それとも情況に応じて使い分けるものなのか」

李靖:「曹操の著わした『新書』と言う本のなかに、「我が方が二倍の兵力なら、我が軍を正と奇の半々に分ける。
  五倍の兵力なら、正を三、奇を二に分ける」とありますが、これは大まかな事を語っているにすぎません。
  ただし、『孫子』の兵法には、《戦争の形態は〈奇〉と〈正〉の二つから成り立っているが、その変化は無限である
  〈正〉は〈奇〉を生じ、〈奇〉はまた〈正〉に転じ、円環さながらに連なってつきない
  したがって、誰もそれを窮め尽くす事はできない》とあります。
  これこそ、至言と言うべきであって、奇と正とは、もともと別々のものとして分けることはできません。
   ただし兵卒がわたくしの戦い方に慣れておらず、配下の指揮者もまだ十分に号令を理解できていない場合は
  必ず二隊に分けて訓練します。その際、二隊に対し旗と金鼓を合図に時には合し時には散じる訓練をほどこします。
  いわゆる集中と分散を繰り返し教え込むのです。
  ただしこれはあくまでも訓練だけの事で、訓練が完了した曉には、全ての兵がわたしの戦い方を理解し、
  あたかも羊の群を駆るように指揮官の命令に従わせることが出来る様になります。
  そこには奇正の区別などありえません。
  孫武の言う《敵の動きは手に取るようにわかるが、敵はこちらの動きを察知できない》とは、奇正の極致を指しているのです。
   このように、奇正を初めから分けるのはただ訓練の時だけなのです。
  実際は時に応じて自在に変化するものですが、その変化を窮め尽くす事はできません」

太宗:「実に奥深い話しだ。そのことはきっと曹操も分かっていたに違いない。
  ただ『新書』は配下の将軍たちに教えるために書かれたもので、奇正の本義を説いたものではないのだ」

  「ところで曹操は《奇兵とは側面攻撃するためのものだ》とも記している。これについてはどう思うか」

李靖:「わたくしが知るところでは、曹操は『孫子』に施した注釈のなかで、
  《先に出て戦うのを正とし、後から出ていくのを奇とする》とも記しております、これは側面攻撃を奇とするという説とは異なります。
  わたくしが思いますに、主力部隊の戦いは正、情況に応じて繰り出す部隊が奇であります。
  先、後、側面とは関係ありません」

太宗:「わたしは、正で対しながら敵に奇と思わせ、逆に、奇で対しながら敵には正と思わせるように仕向けた。
  これは、『孫子』の言う《敵の動きが手に取るように分かる》と相通じるものなのだろうか。
  また、奇から正へ、正から奇へと変化して敵に悟られないようにしたが、これも『孫子』の言う
  《敵にこちらの動きを察知されない》と相通じるものなのだろうか」

李靖は深く頭を垂れてこう述べた。
  「陛下はまことに英邁でございまして、古の兵法家をはるかに上回っておられます。
  ましてわたくしなど遠く及ぶところではありません」


太宗が尋ねた
  「分散と集中を繰り返し絶えず態勢を変えていく場合、どちらが奇でどちらが正なのか」
李靖:「戦に巧みな者は、機に応じて正にも奇にも変化するので、敵はいずれとも見定める事が出来ません。
  ですから正でも奇でも勝ちを収めることができるのです。
  味方の兵士は勝利した結果は分かっても、何故勝利したのか、その理由まではわかりません。
  しかし、この水準に達するには奇正の変化に熟達しなければなりません。
  分散と集中の妙を窮めたのは、ただ孫武(孫子作者)だけです。
  呉起(呉子作者)より後の武将はとても彼に及びません」
太宗:「呉起の用兵とはどのようなものだったのか」
李靖:「よろしければ、呉起の用兵の一例をあげてご説明しましょう。
  昔、魏の武候が、敵味方が対峙した時の戦い方を尋ねたところ、呉起はこのように答えています。
  《身分が低く勇気のある者を選んで攻撃をかけさせ、一戦したらすぐに退却を命じます。
  こういう場合の退却は罰してはなりません。こうして敵の出方をうかがうのです。
  もし敵の動きが整然としており、しかも深追いを避けるようなら、なにか謀がある証拠です
  逆に全軍を挙げて追撃してき、規律もなく入り乱れているようなら、そんな敵は取りに足りません
  ためらわず攻撃をかけるべきです》わたくしが思いますに、呉起の用兵とは大概このようなものです。
  孫武の言う、正兵をもって戦うやり方とは全く考えを異にします」
太宗:「いつかそなたの舅、韓擒虎が《李靖となら孫呉を語りあえる》と語ったのを聞いた事がある
  これも奇正についてのことなのか」
李靖:「韓擒虎は奇正の奥義を全く理解していません。奇を奇、正を正と理解しているだけで
  奇正が絶えず変化し、循環して窮まりないことなど知る由もないのです」


つづき『李衛公問対』上の巻(3)

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全訳「武経七書」(2)司馬法 全訳「武経七書」(2)「司馬法」「尉繚子」『李衛公問対』

著者:守屋洋
出版社:プレジデント社
本体価格:2,800円
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