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蒼姫国

■蒼姫国紹介】後漢とは



三国志イメージ
1.光武帝(劉秀)在位23年〜57年
2.明帝(劉荘)在位57年〜75年
3.章帝(劉肅宗)在位75年〜88年
4.和帝(劉肇)在位88年〜105年
5.殤帝(劉隆)在位105年〜106年
6.安帝(劉祐)在位106年〜125年
7.少帝(劉懿)在位125年
8.順帝(劉保)在位125年〜144年
9.冲帝(劉炳)在位144年〜145年
10.質帝(劉纉)在位145年〜146年
11.桓帝(劉志)在位146年〜167年
12.霊帝(劉宏)在位167年〜189年
13.廃帝(劉弁)在位189年
(董卓は廃帝(少帝)を退位、殺害、弟献帝を擁立し即位させる)
14.献帝(劉協)在位189年〜220年
(196年、献帝は曹操に擁立される状態となる)
(曹操死亡、曹丕が即位し献帝は退位)
後漢(ごかん 25年 - 220年)は中国の王朝です。
漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた前漢を再興し
都は洛陽。五代の後漢と紛らわしいので、現在では東漢と言う事が多くなってきました。
王莽により前漢は簒奪されたましたが、王莽の政治は周代を模倣したと言って、現実から遊離していたために国内は混乱し、外征でも失敗を重ね、収拾のつかない状態になり。この状況で山東省で赤眉の乱が勃発したのを皮切りに全国で反乱が起こり、最終的に南陽(湖北省)の豪族出身の光武帝により平定されました。
自身が豪族の出身である光武帝は、他の豪族の力を借りて漢王朝を再興したため、後漢の皇帝は豪族の意向を無視できなくなり、後漢は結局最後まで豪族連合体の体質から脱却できなかったのです。
光武帝と二代目明帝を除いた全ての皇帝が20歳未満で即位しており、中には生後100日で即位した皇帝もいた。このような若い皇帝に代わって政治を取っていたのは豪族、特に外戚であった。外戚は長い間権勢を振るい続けたが、宦官の協力を得た十一代目桓帝に外戚梁冀が討殺されてからは宦官が権力を握るようになりました。 外戚、宦官を問わずにこの時期の政治は極端な賄賂政治であり、官僚が出世するには上に賄賂を贈ることが一番の早道だった。その賄賂の出所は民衆からの搾取であり、当然の結果として反乱が続発した。その中でも最たる物が184年の張角を首領とした黄巾党の乱であり、全国に反乱は飛び火し、この時点で後漢は事実上、統治機能を喪失したのです。
その後は、曹操や劉備らが争う動乱の時代に入り、後漢は一応存在はしていたが無いも同然で、220年、曹操の子曹丕により、最後の皇帝献帝は禅譲を強要されて、後漢は滅びました。これ以降は三国時代に入ります。
漢を滅ぼしてはいけないと中山靖王劉勝(前漢代6代景帝の子)の末裔と称す、三国志演義の主役、劉備玄徳が漢の正統な後継者と称し蜀漢を興し皇帝に即位する。
  




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